御言を聴けと

特に根拠のないわけでもないのだが、
 怖くてなんかリンクがはれんのだが、
摂理人の人、キリスト教福音宣教会の人は、さすがに宮崎駿作品をご存じならしい(若干知らん可能性がある人がゐる)のだが、

 マインドコントロールとやらを受けてゐるらしく、ブログで
「宮崎さんはクリスチャンです」
とか言ふ。ざっと見た限り、ヨーロッパ系のアニメでキリスト教文化が出るのを指して言ってなくて、

然るべきもので言ってゐる。

 「キリスト教文化に強烈な羨望観がある」代り、「キリスト教が大嫌い」で、
どこかの教会で見たイエス像を「なんという醜い神を拝む宗教か」と嫌ひになった、とか、ちょっと探せば出るのだが

 といふか、「異教徒は霊魂を持たないのでぶっ殺していい」といふ宗教観が出ててうざいアンデルセン(中二魂が「アナセン」と書かうとしてゐるがやめる)を、
ジャパニーズにアレンジした「崖の上のポニョ」は、DVDなりブルーレイディスクなりの裏に書いてあるのだが、

 彼らはパヤヲ=クリスチャン説を曲げない。

 さらに、マルクス主義が「キリスト教をひっくり返したもの」で、そのあれが例へば「アルプスの少女ハイジ」を出して
クララがあのゼーゼマンさんの凶悪な暴力機構(なんかジブリ組は欠損家庭は描くが崩壊家庭が出ない)から解放され、アルプスラント(共産党ってアルピニスト多いよなぁ)で労働による連帯をした果てに、足萎えが癒されるといふ点を出して「イエスのいるマルクス主義」になってゐるとかを基本言はない。

 とかの完全にゆがんだ目で見るパヤヲクリスチャン説で何となく癒されてゐると、マンガ版「風立ちぬ」が出た。
宮崎さんの奥様の親戚筋の、品川さんがキリスト教的なナニで、ペリカン食堂と名付けた食堂で、禁煙ファシズムはうざいけど結核患者は勘弁してほしいなぁの堀辰雄が、リアルは嫌煙家だったらしい堀越二郎と煙草バカバカ喫みながら、「ナチス政権はごろつきの集団だとドイツではみんな言っていた」とか、堀辰雄作品にリスペクトしつつ共感する堀越二郎と示唆する堀辰雄が、描かれる回の最後で、品川さんは実在するとか、女給の陽子さんはペンネームで本名が約百(ヨブ)だとか、品川さん(「冬の旅」が二郎の好きな作品として登場し、二郎が来ると品川さんがかけるらしい)が行ふ「たわしマッサージ」を宮崎駿御大がやってゐるとか、書いてあってかなり微妙。

謎の鳥

私説博物誌 で 筒井康隆大先生は恐竜の発見 (ハヤカワ文庫NF)  を引き合ひに、エドワード・B・ヒッチコック大先生とやらの、三畳紀の地層にある「鳥の足跡」を探して回った話を紹介してゐる。

 なんか後に始祖鳥が発見されたので、三畳紀コネチカット渓谷に「拾弐フィートか十五フィートある無翼の鳥」がゐた筈説が保障されたとか思ひ込み、その幻の鳥の創作に血道を上げたさうである。

 三畳紀と言ったら一応ワニさん大繁栄ださうである。

 ヒッチコック先生の探し発見した「鳥の足跡」は、へたすると「こんなんですけどワニの足跡です」とかの可能性があるのがあの業界の恐ろしいところなのだが、

 恐竜が鳥類より説は、二十一世紀には別に普通な説になったが、なぜかこの幸福なトンデモ親父が一八三五年に三畳紀から「鳥」を発見してゐる、鳥類はまた別にアレなものがあるのだが、ヒッチコックの悲劇が彼の死後わけのわからんところで報はれたっつうかなんつうかなわけである。まあおすにえる・C・マーシュ大先生の「恐竜=鳥」説はヒッチコック大先生が支持してるかは知らんが。

 筒井先生は男のロマンがある方なので、「超破壊的滅茶苦茶殺戮的猛攻撃的革命的凶暴的出合頭卒倒失神悲鳴絶叫阿鼻叫喚的野蛮獰猛非常残忍貪虐凶穢(きょうあい)的肉食動物」ティラノサウルスを挙げる。

 「えすえふ作家だから妄想力が強い」ので「馬鹿げた想像」とかこきながら、「ティラノサウルスは鳶のような疳高く弱弱しい声で鳴いてたんでは」とこいておられる。

 最近の研究では、ティラノサウルスはハトか鶏に近いさうである。「ピーヒョロロロ」でなくて「クルッポウ」とかの鳴き声が、当時のアメリカの大地を恐怖のずんどこに陥れてゐたらしいのである。多分違ひさうだけれども、でも何とかいって、タイムトラベルした後アルバートサウルスだか何だかはいいとして、ナノティラヌスだかもふもふ「怪獣」ユティランヌスが「こっかどぅーどぅるどぅー」とか叫んでゐたりするのを目撃する可能性はあるのである。先生の妄想力恐るべしである。

弥勒と原罪

 善神で正義のどブス弥勒(ミルク)と、邪神シャカの対立が、琉球~朝鮮にあったと説く。豊穣神だったらしい。

 ほんでもって、邪神釈迦あるいは釈迦がなしと弥勒神がいろいろあって、原罪のやうなものを人間に植え付けることになったと説く。

 朝鮮プロテスタント異端派混淫派の世界観に似るがどうかは不明

 

 

 すでにこの雅歌の時点で、「リンゴ=エロい果物」といふ物が成立してゐる。一応智恵の実がリンゴなのはラテン語で悪徳とリンゴが同じ語であるからなわけであるが、

原罪を姦淫とする場合、リンゴ喰ったからと言ふのはいいのだが、

 原典(創世記)に智恵の実がリンゴであるといふ描写はない。

 

 暴力機構を補完する契機としての原罪に関する本を探さうとして忘れてゐる。

体躯の関係

 

 文鮮明と仲の良かった大山倍達師範の伝記。

 「正しい準戦勝国民」として「日本人の側に立った」傳承があるのは面白いと思ふ。

 

 英国のバーティツは、講道館柔道を見てゐた鉱山技師の筈のエドワード・ウィリアム・バートン=ライト御大(敬虔なクリスチャン)が、「柔術」(なんか英語では「JUJITSU」と表記する)を英国紳士に傳へるため、ユキオ タニとともにいろいろ苦労してやったさうであるが、これが一九七〇年代に崩壊する。

 あまり、渡辺龍策馬賊」によるとタオニスムの中に陰陽拳といふ拳法があるさうなとか、かの少林寺とか、のやうに仏法とかのイデオロギーの一環としてマーシャルアートがあってもいいと思ふのだが、大山師範は統一教会の伝道を極真の道場でやるのを認めてはゐても、「ああいう風」になった教団へは嘆いてゐるらしいって、距離があるらしい。

 

 朝鮮のナニとして、「クリスチャンマーシャルアート」ができる可能性を潰すのは悪いことです。しかもアメリカのゲーム「ガープス・マーシャルアーツ 完訳版 (こずくがないので「設定にバーティツがある」のの確認をしてゐない)」では、アジアンマーシャルアーティストに、投擲系の鬼ホアラン(花郎 の筈)があるのである。ちゃんと正義の青年集団である。ふう。

御言を聴けッ

 

 摂理とか 世界基督教統一神霊協会だか世界平和統一家庭連合(ナザレのイエスはいまだにママンを「婦人」とかこいてるのだがどうしてその信者と称するものが家族とか言ふのかは不明っつうか家族がどうとかはキリスト教から行って異端なんだけど)

 の構造として、

メインを個別的問題設定にする。

奥に入ると初めて縮約的問題設定が入る

 

 といふ、一見すると理想的なものがある。

 

 某SEALDsみたいに、キリスト教の関係ですとか言ってる上で、戦争行きたくなくて震えるんなら問題はないのである。

  壺売ったりサッカーやったりと言ふのを、傳道の際に言はないらしい。 原罪は姦淫だのの間に、なんかブランクがあるさうなのである。

 アメリカなんかで、傳道の傳統からマルチ商法が出来たわけであるが、何度でもいふ、この個別的問題設定をホストに据えた個別的問題設定の宗教、に行くべく血の努力をしてゐる訳である。

 困ったものだ。

韓国のあれ

 

 では、「第四のペルソナ」に教祖を入れる「架空のカルト教団」が登場する。

 鄭明晰@囚人番号が4499先生と、家族連合は、元混淫派とよばれる、

スピリチュアルなプロテスタント(この辺は別にオリジナルで素朴で偉大である)からの派生と言ふかほぼ引き写しで、「原罪は姦淫(千年王国系はかう言ふのがあったはず)」「真のメシアは肉体をもって東から現れる(ユダヤ人のタームは東向いてるし)」「イエス・キリストの十字架刑は失敗(原罪は暴力機構の補完のダシとして必要なので、ナザレの大工の嫁の連れ子のロン毛野郎がすべての罪を雪いでくれると困るのである)」といふのを据える。第四とははいはない。「俺がサンタだ!」でなくて「メシアは俺だ!」と言ふことにしてしまふ。

 てふか、鄭明晰ラビ(このおっさんは実在する)とその「韓国のカルト教団(劇中でかう言及される)」の関係がアレでほめたいやうな関係でよろしい。絵が下手なのに。

 さう言へば、「ジョーカー太陽星団のような」韓国がお好きとおっしゃる劇中山野先生のキャラクターも、大月隆寛先生ののたまはく(あにょん)にあるやうに、異様。

なんか生物学的にあれだ

生物学的に、キリスト教徒あるいはアブラハムズカルトの信徒が「対象をガン見」してゐるのは、植物はあれか、けっこうその辺で見られるが、「風立ちぬ」(マンガの方)では、宮崎駿御大の嫁の親戚筋で、品川さんとおっしゃるクリスチャンが、経営する「ペリカン食堂」なるものが出てくるが、これは「ペリカンをガン見していると、親がわが身をひなへ食わせているようにしか見えないので」イエスの慈悲を表す鳥として出てゐる。全然関係ないが、宮崎御大はあっちこっちでキリスト教をDISッてゐるのだが、この「品川のおじさん」が行ふ「たわしマッサージ」で生きながらえてゐるさうである、

 えー

摂理

ttp://www.j-cgm.net/?p=440

では、「キリスト教福音宣教会」の人鄭明晰先生が、「魚は光る物を食う」(魚だけに)といふ生物学的な点を無視して説教ぶっこいてゐる。

 困ったものである。