朝鮮人は、いろいろあって「1945年から」表記の分裂があったさうで、とこの本には書いてある、李の字が韓国語では「イ」北朝鮮では「リ」になったとか。ナニとかそれとか言ひたいけどやめる。
なんだ、木火土金水に基づき、木(1,2画)火(3,4画)土(5,6画)金(7,8画)水(9、10)の漢字を組み合はせて相生関係に照らし合はせて作るさうである。
「芸」は「ウン」と読む。ゲイでない。
芸
圧権 敬輔 鎬加 承思 斗圭 半説さんがゐるらしい(厳密には芸さん一族はゐないらしい)
さう言へば、船の関係には、聖所としてツツと呼ばれるところが設定され、
そこにダイスが置かれ、(南方熊楠がなんか書いてた筈で、置き方が確かwikipediaに前書いてあった気がするがいいや)イコンと言ふことになったさうである。
折口信夫先生によれば、ここから「ぢっちんぢっちん」あるいは「ちんちろちんちろ」といふ、神様の御言が垂れるさうである。これを「そしらっしゃる」「しげらっしゃる」とか言ふ。(蜑のささやき)
白川静大先生は、神様の御言が、出るさまを、「そしる」「せせる」「しげる」と言ったと書いてゐる。そんで謗、誹他四十に及ぶ漢字はさういふ神様の御垂れるお言葉を指さないと言ふ。
谷川健一大先生のナニで、「がじゃももせせられて」「ぬかごもせせられて」と、巫女が虫に「せせられる」様を書いたやつがあった筈。
なんか2ちゃんねるの「JMS MS 摂理」の若いスレッドで、信者らしき人が
「御言を聞けよ」
とか書いてゐるのだが、多分さういふタームが効くんだらうと言ふか、獅子吼のやうなものなので効果があると思ひこんでゐるのであらう。
摂理あるいはキリスト教福音宣教会の人は、嘗ての文化風習(盆と正月とか)を迫害し弾圧し異端宣告するさうであるが、鄭明晰先生の御言は「刺さってる」と思はれる。
さう言へばクリスチャン臭いsealDsのほなみさんが「てめーの体のすべての穴に五寸釘ぶち込むぞ」と言った武藤貴也先生は、悪行がばんばんばれてゐるのであった。
特に根拠のないわけでもないのだが、
怖くてなんかリンクがはれんのだが、
摂理人の人、キリスト教福音宣教会の人は、さすがに宮崎駿作品をご存じならしい(若干知らん可能性がある人がゐる)のだが、
マインドコントロールとやらを受けてゐるらしく、ブログで
「宮崎さんはクリスチャンです」
とか言ふ。ざっと見た限り、ヨーロッパ系のアニメでキリスト教文化が出るのを指して言ってなくて、
然るべきもので言ってゐる。
「キリスト教文化に強烈な羨望観がある」代り、「キリスト教が大嫌い」で、
どこかの教会で見たイエス像を「なんという醜い神を拝む宗教か」と嫌ひになった、とか、ちょっと探せば出るのだが
といふか、「異教徒は霊魂を持たないのでぶっ殺していい」といふ宗教観が出ててうざいアンデルセン(中二魂が「アナセン」と書かうとしてゐるがやめる)を、
ジャパニーズにアレンジした「崖の上のポニョ」は、DVDなりブルーレイディスクなりの裏に書いてあるのだが、
彼らはパヤヲ=クリスチャン説を曲げない。
さらに、マルクス主義が「キリスト教をひっくり返したもの」で、そのあれが例へば「アルプスの少女ハイジ」を出して
クララがあのゼーゼマンさんの凶悪な暴力機構(なんかジブリ組は欠損家庭は描くが崩壊家庭が出ない)から解放され、アルプスラント(共産党ってアルピニスト多いよなぁ)で労働による連帯をした果てに、足萎えが癒されるといふ点を出して「イエスのいるマルクス主義」になってゐるとかを基本言はない。
とかの完全にゆがんだ目で見るパヤヲクリスチャン説で何となく癒されてゐると、マンガ版「風立ちぬ」が出た。
宮崎さんの奥様の親戚筋の、品川さんがキリスト教的なナニで、ペリカン食堂と名付けた食堂で、禁煙ファシズムはうざいけど結核患者は勘弁してほしいなぁの堀辰雄が、リアルは嫌煙家だったらしい堀越二郎と煙草バカバカ喫みながら、「ナチス政権はごろつきの集団だとドイツではみんな言っていた」とか、堀辰雄作品にリスペクトしつつ共感する堀越二郎と示唆する堀辰雄が、描かれる回の最後で、品川さんは実在するとか、女給の陽子さんはペンネームで本名が約百(ヨブ)だとか、品川さん(「冬の旅」が二郎の好きな作品として登場し、二郎が来ると品川さんがかけるらしい)が行ふ「たわしマッサージ」を宮崎駿御大がやってゐるとか、書いてあってかなり微妙。
私説博物誌 で 筒井康隆大先生は恐竜の発見 (ハヤカワ文庫NF) を引き合ひに、エドワード・B・ヒッチコック大先生とやらの、三畳紀の地層にある「鳥の足跡」を探して回った話を紹介してゐる。
なんか後に始祖鳥が発見されたので、三畳紀のコネチカット渓谷に「拾弐フィートか十五フィートある無翼の鳥」がゐた筈説が保障されたとか思ひ込み、その幻の鳥の創作に血道を上げたさうである。
三畳紀と言ったら一応ワニさん大繁栄ださうである。
ヒッチコック先生の探し発見した「鳥の足跡」は、へたすると「こんなんですけどワニの足跡です」とかの可能性があるのがあの業界の恐ろしいところなのだが、
恐竜が鳥類より説は、二十一世紀には別に普通な説になったが、なぜかこの幸福なトンデモ親父が一八三五年に三畳紀から「鳥」を発見してゐる、鳥類はまた別にアレなものがあるのだが、ヒッチコックの悲劇が彼の死後わけのわからんところで報はれたっつうかなんつうかなわけである。まあおすにえる・C・マーシュ大先生の「恐竜=鳥」説はヒッチコック大先生が支持してるかは知らんが。
筒井先生は男のロマンがある方なので、「超破壊的滅茶苦茶殺戮的猛攻撃的革命的凶暴的出合頭卒倒失神悲鳴絶叫阿鼻叫喚的野蛮獰猛非常残忍貪虐凶穢(きょうあい)的肉食動物」ティラノサウルスを挙げる。
「えすえふ作家だから妄想力が強い」ので「馬鹿げた想像」とかこきながら、「ティラノサウルスは鳶のような疳高く弱弱しい声で鳴いてたんでは」とこいておられる。
最近の研究では、ティラノサウルスはハトか鶏に近いさうである。「ピーヒョロロロ」でなくて「クルッポウ」とかの鳴き声が、当時のアメリカの大地を恐怖のずんどこに陥れてゐたらしいのである。多分違ひさうだけれども、でも何とかいって、タイムトラベルした後アルバートサウルスだか何だかはいいとして、ナノティラヌスだかもふもふ「怪獣」ユティランヌスが「こっかどぅーどぅるどぅー」とか叫んでゐたりするのを目撃する可能性はあるのである。先生の妄想力恐るべしである。