イエスの催す

 新約聖書 全然クリスチャンでないのだが なのでななめ読みなのだが、個人的にはキリスト教=「迫害と弾圧と虐殺と異端審問」であるのだが、教養として読むのである。結構面白い。
   かのイエスが興したユダヤ教の分派(いきなり大工のせがれ風情がキリストとかこくのはあり得ないので、最初はユダヤ教の分派)は、 NAZORAIOS と呼ばれる。通常「ナザレ派ユダヤ教」と解釈され、四福音書書記はさう解釈して「先生がナザレの人なので」と言ってゐるが、さうなると「NAZARENOS」のはづである。これについては、岩波書店の「岩波訳聖書 新約」によれば1ナジル人 の意 2イザヤ書にある「エッサイの木から若い芽(ネツィール)が萌え出で」のネツィールから の可能性があるさうな。

 白川静先生によると 萌 は 「明」の草系の字で、ために草冠が後からついたのださうで、「もえる くさぎる」の他逃亡民も指したさうなので「たみ」の訓があるらしい。
 芽を出させる(催芽)のがモヨホスである。また集めるとか、なんぞを引き出すのもモヨホス(催)といふ。

 イエス様の興した信仰ユダヤ教は、さう言ふわけで「家と家族と奴隷と土地と家畜を持ち 選挙に参加できる自由農民(十戒を守れる者のデフォルト)」以外の者を救ふ為の宗教であった はづである えー萠(たみ)を催し、異教徒を萌る(くさぎる)如くに倒す、萌芽派ユダヤ教 …旧約の雅歌で、「胡桃の芽を見に参ります」と歌はれる、芽(エーブ)は「萌える娘さん」を指すらしい。なんかまともだなあ。