平らな畑へ遠風なんか来ない

 そんな訳で、「宮崎駿氏が振り回してゐる」といはれる中尾佐助氏の著作は、「水田を文部科学省の管轄に、田んぼを文化財に」と主張する(サルの正義)儒教の研究家、呉智英氏も、「栽培植物と農耕の起源」を読めーと言ってゐる(この新書がすごい!)。「栽培植物と農耕のなんちゃら」には「文明の基本である畑の生産力」が勝敗を決する説の証左として、「殷周革命」が挙げられる。なんか納得である。

 中尾先生の同書によればその生産力のエポックな向上(「革命」)は、ヨーロッパ アルプス以北で四回、東洋では二回あり、「江戸時代の見事な封建制度」は三回目の革命興って出来てさうだけども、多分ないらしい。
 
 一応書く まづ、革命は「芋 雑穀を植えて育て、灌漑とかして収穫する」のを始めとする。これが、インドシナ半島(一万ン千年前)、ティグリス・ユーフラテス川辺(まあ一万年前位) ニジェール川の上流域(同じくらゐ)、メキシコのどこか(あにゃ)で発生し、一応各地へ伝播したといふ。

 で、地中海辺の農耕文化でのみ(羊とか飼って麦とか育ててないとだめらしい)発生した二圃式農耕をアレンジしたドライ・ファーミングによる「畑のフィールド化」が麦と牛をメディアにユーラシアを席巻する(麦作文化圏の端っこに周王朝があったさうで、この「勝組麦作文化圏」が支那の盟主になって とくるわけだ)

 さらに、十ン世紀のアルプスより北方で、三圃式による「畑と麦畑と放牧地をローテーションする」農耕文化が発生、世界をまたにかける。

 で産業革命期のヨーロッパで、ノーフォーク式 輪栽式と呼ばれる、「牛の餌 麦 野菜」を時間的にシェアする(ので輪栽)農耕、牛の年越しの為畜舎で飼ふ(「毛唐は**みたいな奴ら」なので、その辺のおばさんが普通に屠畜した)、中耕作業による、農耕革命が発生し、日が沈まない国ができる。

 書いてると ちゃんと「人種差別に基づく悲劇」があぶりだされて憂鬱になるが、なんかことは単純でなくて、佐々木高明先生によると、「ナラ林文化」と呼ばれる、「地中海農耕文化で、雑穀も植える」文化圏の極東部である東北地方では、「アラキ農法」と、研究の上で言ふ「輪栽式の焼畑農業」が山奥で行はれてゐたらしい。しかもアラキ農法は「榛の木林」を開発してツーマンセルで耕すわけであるが、照葉樹林文化圏でもハリの木(窒素固定をする)を植えてると言ふ農耕があるのである。あうあうあうあう。白山信仰も谷川健一先生のおっしゃる白鳥信仰もこの辺に「世界を革命する力を」與へてないらしい。ばかあ。

 さらに、秋津島では、「牧畑」と呼ばれる、放牧地と畑を時間的にシェアする農法があったりとか、「方荒し」と言ふ休閑地が文献にいぱーい出たりとかする。
 方荒しみたいなのって 確か縄文時代もやってた気が…「はっはっはっ 中尾先生自虐すぎですよ」と言ひたいがー、有機的な結合が多分無ぇよ。