博亦なるもの

すぎやまこういち大先生は ナショナリストである前に大変なギャンブル野郎で、世界古今東西のありとあらゆる賭博グッズを集めておられるさうである。で、その賭博ものの魔窟をさまよって、研究した増川宏一先生によると、賭博は、元占ひの道具であったといふことである。

 

 アレア/機会を用ひる遊びは、もと神の御言を聴くための儀礼だったらしい。で、それが零落し、財産の私有が認められた後、IDとしての財産をかける占ひが興って、われわれが「さあ皆さん博奕やってますか」と言ふと連想するあれが成立したらしい。

 

 さう言ふわけなので、古代エジプト創世神話、夜であるらしい天空を司る女神ヌトが、兄であるゲブと、せっくすをしまくってゐたので、祖父にあたる神であるラーに怒られて、交合の禁止を申し付けられたんだけど、「妹命」の義侠心と友愛に満ちた月神トートが仲裁に入って、増川先生によると「魔法で細工がしてある賽子賭博」、女神転生の関係の人が昔アスキーでやってた「幻想用語の基礎知識」によると「チェス」とてもややこしいことに増川先生の著書によると、ヌトを象ったチェス盤と言ふものが出るさうである、によって、ラーと勝負をし、勝って、ヌトはおにぃたんの元へ帰れました 一応めでたしめでたし(ぢぢいの呪ひにより、この後ヌトが生んだ、かのオシリスだイシスだなんだが、どろどろした仲である)、といふ話は、製作者が既に「なんか神様ってギャンブル好きだよね」といふ頃に成立したものであったらしい。

 水木しげるの何たらによれば、ロシヤの森をうしはく精霊レーシィは、よく賭場を開いて、負けたものへ、胴元の縄張りにゐる動物(多分人間にとって都合の悪い物)を持たされる、んださうで、水木しげるの本では「負けたレーシィが夜中に居酒屋へ行った話」が収録されてゐる。ロシヤって精霊も酒飲んでるよ。

水木しげる 妖精なんとか

妖精なんでも入門

 でなんだ、朝鮮では四世紀から「占ひとしての賭博」が行はれてゐたさうで、日本領になった千九百十年ころ廃止されたさうである。儀礼に関する資料は残ってゐないらしいのだが、巫女はんが胴元になって「多分 賽子神を拝し」IDとしての財産をかけて行ってゐたらしい。

 

論語の「難いかな 博亦なるもの非ずや」と言ふのがあるが、これは呉智英先生によるとさう言ふものらしい。

 

 でこれが、井波律子大先生によると、「孔子のユーモア」ださうである。このやうな説(丘さんやってない立場らしい)は妥当かどうかが不明であるが、「孔夫子は笑はなかった」説が出さうな他のよりは若干ましである。

 

 

なんかしらんけど死による呪術を司る一族エウタナトスは魔術の触媒として偶然性のナニ(ダイスだか何だか)を用ゐる。