餅屋、蒟蒻 なんとか問答

南方熊楠は あああああ買った方がいいくらゐ引用してるな、「餅屋問答」の、手によるジェスチャーが、フランスの本に出てくるスイスでの話で語られてをり、インドとかにもあるので、「多分インドが原産で、東西に傳播していったんぢゃないか」といふ説を唱へ、「支那のさう言ふ話は知らん」と言った後、掲載した雑誌への投稿だか本人への投書だかで「関東では「蒟蒻問答」で知られる」「結構メジャー」といふ恐るべき事実を指摘され、さらに知り合ひからさう言ふ話が「ザンジバル、スペインにもある」旨も送られたさうである。たしか南方翁の説く「ヨーロッパからオランダ経由」説に落ち着いたはずであるが、資料がどっか行った。

  南方熊楠全集 弐巻 p305

 餅屋がいろいろあって禅寺で坊さんやる その辺ほっつき歩く僧がくる で

両の人差し指同士、親指同士を併せて丸を作ると、餅屋の偽坊主 指を十本出す

  僧 三本指を出す 餅屋の偽装坊主 アッカンベー 

六巻P207では、「瞳の中に見える人」を佛とか魂とかとした旨が語られる。

 さういやカウボーイビバップで、「君の瞳に、映った僕に乾杯」といふセリフがあり、さう言ふ台詞を吐くバカタレを見て引くフェイ・バレンタインの瞳に、そのおほ馬鹿者の姿が描いてある。この無駄にち密な絵はなんか出るよ。

 なんか 飛鳥昭雄先生の説く末日聖徒イエス・キリスト教会の教義カッバーラを連想させる。 近世に成立してるし。丸に十(世界は十戒を以て表される生命の樹で括られる)、三本指と瞳(天父と御子と聖霊フリーメーソンリーの意匠にもある眼) みたいな。

 五巻p442 禅僧の笑話

 遊行僧 指一本で空を指す 餅屋 空を弐本指で指す

 僧弐指を挙げる 餅屋 四本指を挙げる

 僧指を三本挙げる  餅屋 指を五本挙げる

 フランスの本に出てくるスイスの話

 謎の学者 が言わしてるので どっかの大工が問答を買って出る

 学者 一指で天を指す に大工 弐指を出す

 学者 三本指を出すたいして大工 握り拳を出す

 学者 林檎(六巻p207では 「芋」)を出す に対して大工 パンを出す。

ほらそっくり。