論語とシナの外人観

 魏略 で、倭人は「呉の国(書かれた当時のでなくてもっと前の呉)の土人に似た習俗」を持ち、「泰伯の子孫を称し、姫氏と名乗る」とか書いてあるさうである。

 魏志倭人伝では、夏国の土人に似る といふざっくりした描写になってゐる。さすがに同盟国が敵国と似た習俗とか書けないので、かうした可能性があるさうである。
ふん。そっちは無視して、微妙に人種差別とかがないと言ふ傍証だと思ふ。
 何回も言ふが 姫は白川静「字統」によれば、女偏にミルクタンクとしてのたゆんたゆんなおっぱいを指す臣で、ママを指した。

 

 あ、論語をめくっていたら、

「夷狄の君あるは諸夏のなきが如くならんず(夷狄には君子ゐるのに中夏にをらんなぁ)」 巻第二八いつ第三:五

とか、あるけど、

「子ののたまはく 泰伯は其れ至徳と謂ふべきのみ」 巻第四 泰伯第八:壱 
といふのがあった。 いいんだどうせふん。

 でもって平泉澄著の本によると、「天皇=泰伯の末孫説」はすでに江戸時代前に来てたさうである。林羅山は信じてゐたさうである。一応複雑であるが、水戸の黄門さまは、ぐれてたんだけども支那の偉い人の伝記を読んで改心し、司馬遷のやうになるぞっつうて大日本史の編纂をはじめ、さういふ「天皇=泰伯の子孫説」を妄説として退けたさうである。はー。