やる気がない。
- 「女装」が文化として残ってゐるのは、王室が残るタイと日本であると言ふ「物語工学論」の指摘は面白いと思ふ。「はるな愛」と言ふ麗しの姫がいらっしゃるが、スサノヲ(ヤマタノオロチやっつける際に女装)以来の歴史と伝統が、いま「野郎の肉体に自信が持てない」男性を甘やかしてゐると思ふ。
- 朝鮮のアレなところには、花郎といふ一応青年集団があって、発足時悛貞と南毛と言ふ美人のおねいさんが二人でトップをやってゐたが、いろいろあってダメになったので、イケメンをトップへ据えることになる。当初はただ単に国王陛下が敬虔な仏教徒なだけで宗教色はなかったらしいのだが、制度になる際トップは弥勒「女性名」を名乗る。朝鮮オリジナル(でもないか)の、「正義のどぶすとしての弥勒」像は関連するやうな気がする。 『性欲の研究 東京のエロ地理編』男寺党に関する記述あり
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支那は ありさうだけど悠久の歴史を掘り出したらきりがないのでやめる。とりあへず相公と呼ばれる女装男子の関係。支那人なのでシャレにならない男の娘が清朝の支那で働いてゐたらしい。それを書く三橋順子先生は、「南アジアから東南アジアを経て東アジアに至る」汎東アジア的なトランスジェンダー文化の存在を主張する。以前は「像姑(Xiang-gu)」と言ってゐたのを、ちょっと美化して宰相の名とか敬称とかである相公(Xiang-gong)と呼んだらしい。(ジャーゴンのお約束で詳細は一切不明)。また、「ちんこ去勢系」のインドのヒジュラや「ちんぽ娘系」の秋津島の陰間文化の他、支那でのそれは、との当時が騎馬民族(去勢文化を持つ)のふんぞり返ってる頃であるにも拘らず、相公は「ちんぽ娘」であるといふ点を紹介してゐる。さう言へば写真に出てくる男の娘さん方は旗袍を著てゐる。
井上章一編『性欲の研究』
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力士は「人造妊婦」であると荒俣宏先生かなんかが言ってゐた筈。で、「四股名」が元「醜名」だったからとかなので雷電とかだった、ださうだけども、「醜」は精霊を表す字 さらには古代日本(一桁世紀)で、可愛いものを指してこの字を使った。あんまり言はれないが、女のふんどしは「まわし」と言ふ。白鵬がつけてゐるのは女性用のアレな訳。
- 三島由紀夫の女装 作者が病気だと思ふ。とてもややこしいことに、松旭斎天勝(奇術師 プリンセステンコーの師引田天功の師匠松旭斎天洋の同門)とかクレオパトラのコスプレやってた幼少期の方はある意味健全で、ダンヌンツィオにかまけ座業なのに無理して筋肉付けた晩年は、あんなんなのに微妙に日本人である自分への自信のなさがあると思ふ。