ごーすといんざしぇる

 

 まあわかりやすい。押井守御大は、「メカフィリア」で、攻殻の思考戦車を、一応理想的な多脚歩行機械であるとし、かつ、鉄砲と言ふ精密機械があるアレなものと言ってゐる。

 で、たしか銃を足として「八本足」であると主張してゐた筈であるが、監督によれば原作の攻殻機動隊が、ナショナリズムに満ちたものである為、なにか古典にあるやうな、ナニをと、インスパイア源の諸星大二郎ぢゃないけど、アメノウヅメノミコトが天の岩戸へ引き籠った天照大神を呼ぶ際のナニをアレする「神話の通りだ…」な演出として、細男(せいのを)と言ふバトーを据え、思考戦車をうづめが伏せて台にした槽(このばあひは「ウケ」)、全然関係ないけどこれ描いてたのが後電脳コイル造ることになる磯光雄さんださうです、に見立て、なんぞ生命の降臨をアレするとやったさうである。

 8と、人形使い入りの奴と素子少佐とバトーさんの合計数3は、舞台の脇に書いてあった樹ぢゃないけど、五行思想における木にあたる数字で、具象化を表すものである。

 でも降臨する何者かは、全身描いてあるんだよな。ふん。