ノモス考

 

奈良時代秋津洲の領土は天皇陛下の「なんちゃって領土」であり、その社会主義的な所から、官僚の支配する物を、自治の方へシフトせんとする領主が台頭し、鎌倉時代に「姓でくくられるノモス」ができたとする。

 従って、鎌倉時代はまあ官僚系へ行った平氏の他に、源氏 といふ征夷大将軍が出る。これは、他のトライバルなコミュニティが、ある程度の自治を行ふために、団結する際の棟梁として出来たもので、北条氏がいろいろ苦心したとする。

 その北条 右から読んでもまさこさまは、そのお父上の構想の一環である、アラビアのロレンス的な存在を、このばあひ、源頼朝はどうでもよくて、パパの鎌倉首長国連邦構想のお手傳ひのためにわしがなんとかー、がある可能性が示唆される、ので、とても尽力する。

 姓でくくられる繋がりが、平たく言ったら国なので、比企氏のあれとか政子さんのパパに対する待遇は、東京へ来た在日何とか人が国政を壟断するやうなものなので、ファザコンであるがゆえにやっちゃったと解釈する。