孔子と老子とカッバーラ

 柳田國男大先生によると、なんだ、巫女はんは、元々かんなぎ系だったのが、後「口寄せ系」といふ放浪する巫女を生むに至った、さうである。 どうかはわからないが、神にせせられて各地を彷徨ひ初める のはありうると思ふ。  

 で、支那の方である。白川静著 「文字遊心」によれば、儒教はもともと「民間でお祓ひとかやってた系」で、神殿で行はれてゐた奴を継承してゐるのが道教で、神殿を建築する土方のカルト化しちゃったのが、墨子だったさうである。  それらは一回、崩壊寸前つうかほぼ崩壊して、サブカルみたいなものである儒者(基本的に葬式の式次第を司る)のバカ野郎孔丘が復活と言ふかなんつうかをし、それへの注釈の形で墨家老子荘子だが出たらしい。

 これには「下っ端を鬼卒という」宗教団体も書いてある。

 コンフューシャニズム(白) 道教(黄) 墨子(黒)と言ふカラーリングが、飛鳥昭雄先生の言ふカッバーラだなぁとか。  

 末日聖徒イエス・キリスト教会はガーメントと呼ばれる上下ツナギの下着を原罪として身に帯びるさうだけども、タオニスムにおいても、原罪みたいな、天の戮民と言ふものがある。 「三つある、フリーメイソンリーを統括するメイスンリーGGLの頂点にある日本は、フリーメイスンリーの旗印である直角定規とコンパスによる日の丸の図像が許される」と説くネオパラダイムASKA!には、これがない。上に、「黒人はカインの末裔」で、カインの子孫の娘さんがハム(ノアの子)へ嫁いで、旦那の方もパパから秘儀をパクったかどで呪はれて、黒人の祖となったとやる。

さう言ふ関係で、「鬼灯の冷徹」に出てくる「巫術や方術の体系としての老子道教」 と言ふ解釈は、老子が実践的なところをやってない、「死んだあとの方が偉い」思想である時点で一応間違ひで、かつ葬礼の体系をやっちゃった孔子の注釈であると言ふ解説としてみると、結構面白い。イデオロギーのエンターテインメント性を認めるとかうなるんだよな。