神のタハケ

柳田國男は「タクラタ考」で「魂が過剰に入ったために」と説明されるバカを紹介する。「その魂のキャパシティを持つ生き物=鯨」になって帰ってくるから大事にするらしい。

 白川静字訓」によると、たはけ(淫)は、なんぞ生霊系を身に着かせると言ふ語であるらしい。後「婚」の字を当て、犬たはけとか馬たはけとかを表現したさうである。「妖(およずれ)」が死霊系の憑依ださうである。

  師匠の倍の聖霊を帯びた聖エリシャ、…エルサレムへ赴くうちクソガキャどもから「禿げ頭登ってこい」と言はれたので、天主へお願ひして飢えたメスのヒグマを送ってよこしてもらってどうのかうの、モーセ聖霊を他の人へ分けてもらふとかは無視するとして、さういふ聖霊観を実は襲ってゐるらしいイエスは、教団の信徒へ向け「兄弟に対して親しみを込めてであれ馬鹿って言うな」といふ御言も発してゐる。「God’s FOOL」と言ふわけなのでの筈であるが、

 信徒は聖霊を帯びると言ふマニフェストをこいてゐる点で、ガッズフールが何となくタハケと似る。さらにマタイ伝5の「心の貧しいものは」は直訳すると「霊的な乞食」は幸ひだとなるさうである。

 

そんなわけで、聖霊は新約では「霊の初穂」とかいはれるが、ルイス・キャロルの頃は、馬鹿を表す表現で、「頭に麦わらが刺さってる」といふのがあったさうである。そのため「三月ウサギ」とかの頭には麦わらが刺さってゐるさうである。

 

 ものすごい個人的に、イエスの弟子はこのばあ様のやうな者なのだらうと、根拠ないけど、なんか、すっごく、イメージ、なのですね、うん。