シコクビエ はアフリカ原産である。なんかWikipediaに書いてあった。
中尾佐助先生によれば、この穀物はサバンナ農耕文化と言ふ雑穀農耕文化の特徴で、この文化を調べると、「サバンナ系の影響下の畑だったら探せばこれがどこでも生えてる」為に指標として便利なのだが、「他に比べると明らかに味が劣る」さうである。
でも三千ン百年前の日本の遺跡から、プラントオパールになったこれが発見されたさうである。お約束で、弘法大師空海がシナ辺りから持ってきた 事になってゐるので、ダイシビエあるいは弘法稗とも言ふ。「唐から」来たのでカラッピエとも言ふ。
「八千年くらい前(更新する可能性あり)」まずアフリカのニジェール川の上流域で、マンデ族(つか、あの辺は大体マンデ族)のばかたれが、「禾本科の一年草の実を取って食べる」といふ電波でてるよー 薬のんでー な真似をさらし、成功してあの辺のくいっぱぐれが一応無くなった。でその農耕文化は系統者が東方面しかゐないのでそっちへ漸進し、インドへ赴くのであるが、一応エチオピアの辺で、「明らかにへぼい」この穀物が発見され、「どぶろく」のネタになる。
インドへ着いた農耕文化は一応「インド中華主義(いつだー てか中尾先生のメディアでも出るー 因みに中尾先生はインド嫌ひださうな)」に侵されながらも亜大陸を併呑っちゃ併呑し、インド人をそれなりに文明人たらしめた。が、どぶろく文化は一蹴され、しかも土地がいい感じで「へぼい」ので、かういふあほな物(根性がある割に雑草に埋まりやすい)は「移植栽培」をせざるを得ず、春種苗で芽を催して、雨季に「引っこ抜いて」「お引越しする」(中尾先生は「田植えの原型」とする)といふ独自の文化ができる。
そんでもって、「芽の糖化作用による」酒文化がかなりぐだぐだになった距離/時間を経た、ヒマラヤのふもとへ伝播したこの農耕文化とそのメディアであるこの作物は、アスペルギルス・オリゼーといふ菌により腐り、ソレが麹と呼ばれて酒の原料となる。 あ、東アジアなんて「文化込で伝播しました まる」で終りだ。
こっちの「サブカルチャー」はなー 文明の基礎になってるんだけどなあ。
滲子(一応「中国ではこう書く」一部だけど 支那語のWIKIによれば「穇子」)
続 照葉樹林文化
スズメは大好きで、育てるとスズメにみんな喰はれる。
普通は脱穀して、臼で粉にし、蕎麦掻っぽくする
あるいは、粉がゆ ハッタイコのやうなもの、また、お湯の中へあらくくだいた粉をぶち込んで粥にする。
栽培は、ジャワ、ボルネオ、フィリピン辺りで止まってるっつうかそこまで行ってる。
あとは中尾佐助大先生がどこぞで灰色のどろどろしたシコクビエ粥啜って「なんと情けないものを」とかいふ愚痴が収録。