惰性で

 

 群馬県の自然史博物館監修のあれだけぇどなぁ、スピノサウルスの標本そのものが少ないもんで、このシリーズで帆のある生き物の比較とかで出る(三畳紀にゐた謎のアリゾナサウルスも帆の形状と標本の数が同じくらゐなので「三畳紀の生物」でも掲載)ときは、「飯田市美術博物館」のやつを何回もやっとってー

 しかも隣に「ナックルウォークで歩いて通常泳いでいた」説をかいとってー、うーん。

 

 発売日に飯田の辺の本屋さん(結構みやましい)へ行ったら、古生物コーナーに本書がなかった。ちっ。帰りに別の本屋さんへ行ったら、特設古生物コーナーでなくて、普通の生物コーナーで平積み。あう。

宮崎駿が褒める

 

 

 宮崎駿御大は、なぜか「指輪」関係を、まあアニメ版はー、戦闘シーンちょっと来たけど、御大によれば「素人に仮装させてチャンバラをさせているのをトレースするのでしょぼい(大意)」さうで、かう言ふ批判のみを延々やってゐる。

 他は「この辺は素晴らしい」とかを入れるんだけども。

 で、児童文学で岩波ときたので、さすがに「ホビットの冒険」に関し、「この本は消費されつくした」と、文章の形で血反吐を、てふか選んでゐる。単純にDISる方ではないはずなのに、しかもこのシリーズの重要キャラクターがナショナル・アイデンティティとして煙草を育ててゐるのに、批判の文章しかなかったのでちょっと安心。

ワニ関係

 小谷野敦先生によると英語で「ワニ」に当たる語がない、さうであるが、

 三畳紀からジュラ紀にかけて、ワニ系の生き物がはびこり繁栄し栄へ結構出たさうで、なのでワニどころかワニのやうなものの語を出さないといけない、らしい。ので、

さう言ふのをクロコディロモルファ(crocodylomorpha) といふさうである。現生ワニはワニ型類 支那語のウィキでは「鰐形超目」と書いてあった)の一種のcrocodylÍforme ワニ形類)の端っこの隅っこの一部ださうである。

  土屋健『ジュラ紀の生物』

をっさんなので、えー、学問的に言ふと朱羅紀と呼ばれる時代の、初期、トアルシアン期の海中で、酸素がなくなって海洋生物が結構絶滅と言ふのに反応する。

みなみあふりかでせりざわはかせがもっこもっこりしてオキシジェンデストロイヤーをどばどば海中へ突っ込んだので、といふことらしい。ゴジラ、トアルシアン期から発見されてほしぃなぁ。でも確か淡水の水棲恐竜だしなぁ。

 赤いらしい作者によるファンタジー山本夏彦大先生の訳はそのまま。「昭和二十一年」再版の際も歴史的仮名遣。ルビが二十一世紀になってからなので、「なんじゅっせいき」などの表記になる。

 


年をとった鰐

 藤川隆男『妖獣バニヤップの歴史』

 これによれば、オーストラリアでは、ワニを指す一般名詞として「アリゲーター」が使はれる。ただオーストラリアンワニはクロコダイルである。過去形で言へたら いいなぁ。

古生物のアレ

 

 冒頭登場するオサムシ の、学名は、虫の西田おにいさんが関与はしてないはずだけど、命名者に珊瑚の携帯を連想させてしまふアレらしい。ラテン語を英語で読む手癖が付いた欧米では、さうするらしい。手元に資料がないので「AGRA CADABRA」しか出てこんが。

他の話に、ネタでアノマロカリスが出てゐる。全長十センチくらゐで淡水産であるが、

によると さう言ふサイズのアノマロカリスはゐたらしい。大自然てやだね。

 

 てふか、川崎先生によると歩くアノマロカリスのゐるんだか「デフォルトで歩いた」可能性があるさうである もっとやだ。さらにだ、最近の研究により、偶然かナニか、「あんた生物の時間に寝てただろ」的な知識のチャールズ ウォルコット大先生の硬すぎる頭で適当に考へたハルキゲニア像が正しいのが判ってもっといやだ。

日の下に新しい物なんて

「幽霊塔」いいんだけども、まあ。あの江戸川乱歩の作品の前の黒岩涙香の翻案 の前の翻案、といふアレンジの歴史を襲ひつつ、どうやってお客さんへこれを見せるかの苦心が語られる。財宝の描写に関し和風にするのへ「なんという後進性!」とか憤慨するのが微妙にむかつくが、はい「天空の城ラピュタ」での財宝は圧巻でしたね、あと「呪われた財宝」と言ふ類型の指摘があったが、まあ「ルパン三世-カリオストロの城」での財宝も呪はれてはゐたか、なによりも宮崎駿 息子ならともかくお父上がオリジナルのないのをアレすると微妙にむかつくが、えー、

 

では、 「風の谷のナウシカ」に登場する王蟲に大変そっくりな、オッファコルス(体長五mm)が紹介される。目ないし「全にして個 個にして全」とか言ふなんとか語でヘンカイパンだったかは不明すぎるし、アレだけど「オファ王の堤」と言ふ意味の名ださうである。あんまり高屋法子御大が苦心のハーモニーで「ずいるずいる」と言ふ感じでの移動はしない筈であるが、顕微鏡で生きてるやつを実際に見ると「マンガ版の どっちかっつうとナウシカアレする方」に見えさう。

リンゴ園の

 

 作者の田舎に関して、なんとなく言はれてみると、人物評が同郷である西原理恵子先生の「富士鷹ジュビ子っ」とかに似てなくもないが、えー、この本によれば澁澤先生は多分脳内に、なんぞの定型なフォーマットが入ってゐて、ローマで食卓と言ふと然るべきローマの喰ひ物がだらだら、微妙に代りながら出ると言ふ。

 

 多分「リンゴ」「日夏耿之介」「長野」とやると、「生まれて初めてリンゴを見て「ああ、きれいだな」と思ったのは長野県飯田市の果樹園で見たときである。」と言ふフォーマットが自動的にUぷされるらしい。この本のリンゴのナニとほぼ同文が確か日夏耿之介評でも出てた。